藍色日記

誰かが好きな自分はきっと自分が好きな自分

廃車にしたはなし

どうも、いろです

2021年も終わってしまいますね、、、

今年は激動の年でしたので、本当はね、1ヶ月ちゃんと計画してたんですよ

いつ何を書くか、ネタもちゃんと、、、

ところがどっこい、どうして最終日にこうして紅白見ながら書いてるんでしょうかね

マツケンサンバ聞きながら書いてきますよ

これだけは書かないと、1年終われないと思ったので書きますよ

 

実は、今年の1月の終わり自損事故で車を廃車にしました

大学2年生のころからそばにいた車です

 

事故が起きたのは、バイトの帰り、深夜1時くらいですかね

スコールが降ってて、車のタイヤが何かに引っかかったんですよ

私も何が起きたかわからなくって、焦って確認しようと車を旋回させたときに

中央分離帯にぶつかりました

何もひいてないことを確認して車を動かすとすれた音がする

車をみるとバンパーというか下の部分が落ちている

それにしてはなんか変な動きをするなぁと感じたけど、次の日も仕事だしとりあえず早く帰ろうと思って家に帰りました。

次の日仕事に行き、仕事に帰ってきてから車会社に修理のお願いをしにいきました

 

しかし、車会社の人に言われたのは

この車の損傷ぐらいから見て、身体に相当なダメージがあるので

病院にちゃんと見てもらった方がいい

車は廃車にした方がいい

ということでした

 

身体はなんともなかったし、車もまさかそんなことになってると思ってなかったので

同じ車会社をしている父に写真を見せて相談したところ同じような返答でした

 

損傷はエンジンのところをぶつけ、冷却管から冷却水が漏れていた

もう少し動かしていたら、熱で車がダメになってた

場合によっては炎上していたとのことでした

 

車は親の職場の人からもらった形見の車で

今まで車をぶつけて何度も修理してきたので

廃車にする。ということが理解出来ませんでした

 

それほどのことだと思ってなかったので、

それから急いでバイト先に連絡をして、

病院でレントゲン等々をとり、

警察・保険会社に連絡。

 

保険会社は車と病院で担当が違ったので双方と連絡

警察に電話すると、実況見分が必要

→ぶつかったのが中央分離帯だったので国土地理院に連絡

車がないけど通院が必要→レンタカーの手配

と、仕事も3月半ばでやめるのでばたばたしていたところ

車の件もあり、心身共にめいってました

仕事の人に頼んで勤務中でも事故関係の連絡は取っていいことになりましたが

自損事故でたいした怪我も自分はしていなかったため肩身は狭かったです

 

私は車を直す。一択でしたが、家族や車会社は

これから東京で生活するに当たり、廃車にして保険金で今後の生活の糧にした方がいいんじゃないか、車が自分を救ってくれたといってくれました

それでも、私は自分の責任だ。とどうしても車を直そうとしてました。

 

事故を起こした時は、バイトと仕事で1日15時間くらい働いていました。

事故ったのは思えば、うたた寝からだと思います

事故を起こしたときのことをよく覚えてなかったので今となっては、

自損で良かったと思っています

病院では精神薬も出されたので、相当やばかったんだと思います

当時の日記も希死念慮あふれるものになってましたね

 

結局車は廃車にしました

病院は3月の引っ越しぎりぎりまで通いました

国土交通省に連絡したところ元々ぼろぼろなので大丈夫ですとのこと

警察には事故証明書をもらいました

 

本当はこのタイトルも愛車を廃車にしたって書きたかったんですけど

愛車って名乗れるほどちゃんと乗ってあげれたかなって思うと

書けませんでした

 

この事故を受けてちゃんと自分を大事にしようって思いました

大変だったとき、車で送迎してくれた後輩とは付き合いました

学んだことはちゃんと警察に連絡しよう

次の車はちゃんと愛車って名乗れるくらい大事にします

 

今回のブログは誰かに伝えると言うより

自分の備忘録です

他のことは年を越したら書きます

でも、これだけはどんな文章でも残したかったので

 

2021年ありがとう

 

いろ